吉相印鑑の始まり

日本の印鑑のル−ツ紀元前5、000年以前にシュウメ−ル人が最初に使用したのに始まり、エジブト、ヨ−ロッパを経てさらに中国の王朝文化を取り入れて中国から日本に定着した。

最初の印鑑の使用は国王【天皇】のみ使用していたが、室町時代から天皇に許しを受けた、足利幕府三代将軍『足利義満』が使用し始めて徐々に戦国時代の武将の間に時代を越えて広まっていった。なかでも日本の戦国時代を統一した、『豊臣秀吉』『徳川家康』の二人の将軍が使用した印鑑は自らの姓名を印鑑に彫刻するといった当時の武将にはためされなかった印鑑の使用を試みたところに戦国時代の統一といった事業が成し遂げられたとになります。

徳川家康の完全たるところは江戸幕府の大政を作ると徹底した封建制度の中多種多様の印鑑の使用と徹底した制度を設け公家、武士、商人、町人、農民に至るまで印鑑使用の徹底した法律を設け、特に印鑑の使用に重きを置き印鑑の乱用は『首のすげ替え』というまでに取り締まり、江戸幕府300年の基礎とした。『徳川慶喜』以後、江戸幕府の時代は終わり。新しい新政府、明治の開花の夜明けかくると新政府は印鑑を廃止してペンネ−ムの導入について国会論議をしたが明治33年再び国会を通過して印鑑使用は憲法17条により公布されて使用の認可が成立している。

明治に復活した印鑑は明治、大正、昭和、平成と使用されてきました。こうした印鑑を使用する時代の中で印鑑を彫刻する職人、「印鑑印材を扱い作る人」運命鑑定や印相学を研究する「易者」の両者の間に同じように印鑑を使っていても人生が大きく発展したり、衰退したりする運命はと何かに気がつき印鑑使用と人間の運命に関する学問研究がされ、大正を経て昭和の初頭に頃に印鑑に関しての吉凶の研究が論ぜられるようになった。

印相学の始めの正統派は『陰陽学』天地自然の原理で誰にても印鑑の吉凶の話がわかりやすく説明され印鑑と運命について鑑定されていたのですが、印材の進歩、社会の発展と共に30年〜40年になってくると、日本国内において数々の印鑑研究がされて印鑑に関しての著書と出版が多く出されるようになった。

特に昭和45年〜50、60年代は吉相印鑑ブ−ムのピ−クとなっていた。こうなると印相学を九星学『暦の一白、二黒三碧水星と運命を東洋学の星で見る学問』姓名学『個人の名前を画数で見て吉凶を知る学問』で鑑定するようになってきました。印鑑のブ−ムになると学問をしていない人までが鑑定士と偽って印鑑を売り歩くようになった。

こうなると次第に『開運吉相印鑑』といってもどの印鑑が正しい印相学の印鑑かと、一般の方も頭を傾げるようにな疑問印鑑として指摘されるところとなっているところですが。開運吉相印鑑とは何かの知識を多少は持っていないと理解しがたい時代になってきていることはたしかです。

印鑑の使用と目的